イエスが十字架で死んでくださる前夜、イエスは弟子たちにこの3年半の色々な不信頼、不出来だったこと、失敗を細かく取り上げて、注意されたりなさいませんでした。
今この瞬間も、イスラエルを救うヒーローとして、ローマ帝国を蹴散らして君臨する王となるんだ!、とイエスのことを誤解している弟子たちを、説得しようとはされませんでした。
『イエスは夕食の席から立ちあがって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。ヨハネ13:4-5』
それより、エクレシア、集会を導く者として、全ての人の僕とならなけれないけないことを、お手本をもって示されたんです。
ヘブライ語で弟子はタルミードといいます。学ぶ、教えるの名詞形です。
学ぶことは教えること、教えることは学ぶことなのです。
ユダだけ洗わなかったとは書いていないことから、ユダの足も洗われたと思います。この行為には、僕であれという学び以上に、神の御計画が暗示されています。
ユダの足も洗ったのは、神の御計画というのは誰でも、罪人にも同じように示される愛の行為だからです。
※続きはYOUTUBEの動画をご覧ください。この記事は2021年10月の礼拝メッセージです。
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